図書館情報学を学ぶ

はてなダイアリーで公開していたブログ「図書館情報学を学ぶ」のはてなブログ移行版です。

図書館は有料化すべきか論+日本では公共図書館の意義はあるのか論。現在のまとめ

最近図書館ブログ界隈で、図書館の有料化に関する議論が出ていますね。
今回の議論を時系列に追っていきましょう。最初は、以下の記事にて図書館の無料化原則について疑問視する主張がかかれます。

表面的な注意では気づかないこと - Ceekz Logs (Move to y.ceek.jp)
http://private.ceek.jp/archives/003151.html

この記事の後、しばらく間をおいて、以下の記事が投稿されます。

図書館法 改正 : 丸山高弘の日々是電網 The First.
http://maru3.exblog.jp/6570792/

【改正図書館法(案)】(入館料等)
第XX条 公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、図書館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。

こんな条文で、日本の公立図書館はどう変わるだろうか?
シミュレーションしてみるのもおもしろかもしれない。

この記事を発端として、議論が始まりだします。

「なんで図書館は有償じゃないん?」とか「有償じゃないと利用者増やすメリットないん?」とか - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20071216/1197790117
無料だからできること - Copy & Copyright Diary
http://d.hatena.ne.jp/copyright/20071218/p1
有料化、有料化というけれど
http://sakuraya.or.tp/blog_t/index.cgi?no=438(補足記事→http://sakuraya.or.tp/blog_t/index.cgi?no=439)

また、ここの議論から派生して、日本での図書館の意義についての議論がなされています。

2007-12-18
http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20071218
日本における公共図書館の意義 - 図書館学の門をたたく**えるえす。
http://d.hatena.ne.jp/humotty-21/20071218/1198004253
2007-12-19
http://d.hatena.ne.jp/aliliput/20071219

さらに、以前図書館系意外のブロガーとも交えた、図書館の意義についての議論を踏まえたうえで、id:min2-flyさんが公共図書館の有用性とその評価について書かれています。

約1年前の図書館論争いっき読み - かたつむりは電子図書館の夢をみるか
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20071219/1198087179

今のところ図書館系ブロガーの議論の経過はこんな感じです。また進展があればまとめたいと思います。
今回の議論は、図書館の無料化原則に対する批判からスタートしています。公共図書館が無料である理由は、図書館を使って誰もが情報を得たり学習できるようにするため、つまりは情報アクセスと生涯学習の権利を保障するためにあると端的には言えますが、そのような保障をする必然性が現代の日本にあるのか、という批判へと議論は発展していると私は捉えました。
さらに、有料化の議論がなされるようになった背景として、改正教育基本法によって図書館法が改正される可能性が出てきたことが挙げられます。図書館系の学術雑誌でも指摘されている点です。図書館法では、図書館のサービス有料化は禁止されています。一方、博物館法では、原則無料ではあるけれど、必要に応じて料金を徴収することができます。この補足を根拠として、現在多くの博物館では有料となっています。図書館法が改正されれば、博物館法のような補足が付けられるのではないか、という話からまる3さんの議論の発端の記事へと繋がります。*1
今回の議論の特徴は、「日本における図書館」という、一つの国に話を限定している点でしょうか。アメリカは移民対策という側面があり、イギリスでは治安維持という側面があるなど、それぞれの国の事情によって、公共図書館の意義はまた異なっていきます。
日本では図書館の公共性について一般の人々はあまり重要視されていない感覚がありますが、それがなぜ生じるのか。私的にはアメリカと日本の生涯学習体制の違いなどが挙げられるのではないかと思いますが、各国の文化比較から質的な図書館の公共性の妥当性を考えることが今回の議論で必要なのかもしれませんね。
また、id:min2-flyさんが最後の記事で述べているように、コストに関わる議論では図書館の有用性を評価する尺度を定義する必要があります。もし多くの人にとって有益なサービスを図書館が提供していると判断できれば、図書館の無料化は妥当であると言えます。一方、図書館の提供するサービスがたとえ有益だとしても、それがごく限られた人しか利用しないというのであれば、無料化の根拠は弱まってしまうかもしれません。このような量的な基準から、図書館の無料化の妥当性がどこまであるのかを見ていくのも必要でしょう。
まあ、このような議論は図書館情報学系の論文上で既になされていることかもしれませんが、そういった専門的な視点がぜひともネット上で展開されるといいなあと思ってます。

追記

id:copyrightさんの記事「無料だからできること」を追加

  • 2007/12/21:まる3さんの記事「図書館法 改正」を追加した上で、全体的に書き変えました。混乱を避けるため今後の修正は、別記事にして行うことにします。

*1:この話になると、有料化はネガティブに捉えられることが多いのですが、まる3さんは肯定的に捉えた上で議論をしようと思われているようです。

科学の読み物が昔から好きでした。

理科学系児童書出版のマーケティング : 丸山高弘の日々是電網 The First.
http://maru3.exblog.jp/6559677/

とある図書館で最も利用されている科学系の児童図書がほとんど絶版や品切れの状況になっているというお話。
以下私の子どもの頃の話。私が人生で初めて自発的に読んだ本は、「SF世界の名作シリーズ」の『海底パトロール』という本でした。(当時小学校3年生)その後、同シリーズを読み尽くした後は、科学系の本(特にロボットものなど)を図書室で読んだりしていました。
私が通っていた小学校では理科室に『まんがサイエンス』や『5年の科学』『6年の科学』のバックナンバーが置かれていたので、これも読みふけりました。
中学校に入ってからは読書傾向が文学のほうに強まったのですが、それ以降パソコンに触れる機会が多くなり、比較的パソコンの得意な方になれたのは、小学校時代の理科好きが影響したのでは?と思っています。
今でも少しは科学系の読み物を読んだりします。最近だと『暗号解読』『[フェルマーの最終定理』『生物と無生物のあいだ』『数学ガール』とか。
もし上の話が一般に適用できる話だとすると、科学系の児童書が好きだった私としてはちょっと悲しいですね・・・・・・。
元記事の著者、丸山さんの図書館*1では、科学系の読み物を求める児童はわりと多く来るそうです。実際、私が大学の実習として図書館に行ったときも、科学に関するレファレンスを子どもから受けたことがあります。需要はあるのではないかと思うのですが・・・・・・。
先日、子どもむけ図書館ワークショップの紹介記事を書きましたが、図書館でワークショップをするとなると、図書資料を活用するケースが多くなります。ワークショップの運営側としても、この話に対して危機感を抱きますね・・・・・・。

*1:山中湖情報創造館のこと

筑波大による図書館ワークショップ活動

復活第1弾ということで、筑波大学の活動をご紹介。

ワークショップを通じた地域の子ども達の創造性育成支援【PDF】
http://www.tsukuba.ac.jp/public/booklets/forum/forum76/14.pdf

筑波大学では、図書館情報メディア研究科所属の鈴木桂苗先生および西岡貞一先生を中心として、公共施設での子ども向けワークショップの企画運営活動が行われています。これは、子どもの創造性を育成することを目的としており、開催する施設の特性を活かしたワークショップを開催しています。
そして、その活動の一つとして2005年度から行われているのが、茨城県牛久市立中央図書館での「図書館ワークショップ」です。

「図書館でのワークショップ開催」
http://www.camp-k.com/otona/home/column_collabo.php?id=37

具体的な内容を以下に紹介します。

2005年度 「クリケットワークショップ」

クリケットワークショップは、クリケットと呼ばれる手のひらサイズのコンピューターにモーターやセンサーを付けて簡単なロボットを子どもに制作してもらうという内容です。

2006年度 「デジかみしばいワークショップ」

デジかみしばいワークショップは、デジタルカメラと人形を使って4コマ紙芝居を制作するというものです。制作は4・5人のグループで行い、完成後はプロジェクターで投影し、子どもたちがそれぞれの登場人物の声を演じて発表会を行っています。
このワークショップの面白いところは、1つのグループが1つの作品を作るのではなく、1コマごとにグループが入れ替わって、リレー小説のようにコラボレーションしていく点です。これによって、それぞれの発想が思わぬ相乗効果を生んで非常に面白い紙芝居ができあがっていくそうです。

図書館・大学・企業の連携

上に書いたように、このワークショップでは筑波大学が企画運営を行い、牛久市立図書館が会場を提供しています。さらに、それぞれのワークショップの教材およびプログラムは、CSKグループの社会貢献機関であるCAMPより提供されています。*1
このように、図書館・大学・企業の3種の異なる団体による連携によって、ワークショップが運営されている点が注目の点です。
ビジネス支援など、図書館が個人の社会的な問題の解決を支援するサービスが最近行われていますが、今後この傾向が強まっていくならば、他団体との連携活動が非常に重要となってくると思います。

学生によるボランティア活動

この2つのワークショップ活動では、筑波大学図書館情報専門学群の学生と、図書館情報メディア研究科の大学院生がボランティアとして参加しています。ワークショップの司会や子どもの制作の支援など、ワークショップの重要な役回りを多くの学生が担っています。
実は、牛久市立図書館のワークショップには初期から私もスタッフとして関わっています。

STUDENTS 2006年9月号「学生の社会体験報告」(9ページ 常川真央の項)【PDF】
http://www.tsukuba.ac.jp/public/students/2006pdf/students060914.pdf

子どもを助ける側として参加しましたが、こちらも子どもたちの面白い発想や強い好奇心に驚かされ、非常に面白い体験ができました。
さらに、このワークショップを通じて、院生の方々などとコミュニケーションをすることができた点も嬉しかったです。自分の大学生活を考える上で非常に有意義でした。

今後の図書館ワークショップについて

2007年度も、今月下旬に牛久市立図書館でワークショップが開催される予定です。*2詳しい内容などは後日またご紹介していきたいと思いますが、今回は図書館という場を最大限に活かした内容となっており、図書館で開催する意義が十分にあると思っています。

おわりに

以上、筑波大学が主催している図書館ワークショップ活動について紹介しました。先に書いたように、この活動には私も関わっています。私にとって非常に重要な活動の1つのため、この活動と私についてまた後日書いていきたいと思います。

*1:http://www.camp-k.com/otona/ws/

*2:開催内容はhttp://library.city.ushiku.ibaraki.jp/information.html「しらべてみよう!つくってみよう!〜どうぶつ編〜」を参照。

次世代の「場所としての図書館」のあり方を自分なりに考えてみました

『情報の科学と技術』最新号を読んでみた

カレントアウェアネス-R 情報の科学と技術 57(9)
http://www.dap.ndl.go.jp/ca/modules/car/index.php?p=4114
「情報の科学と技術」抄録 Vol. 57 (2007), No.9
http://www.infosta.or.jp/journal/200709j.html

雑誌『情報の科学と技術』の最新号に「デジタルコンテンツの進展と図書館」という特集が組まれていると聞いて、ざっと読んでみました。全体として、デジタルコンテンツ中心の時代になっても変わらない「場所としての図書館」の機能とは何か、ということが論じられているように思いました。

図書館のインタラクティブ性を阻むのは何か

竹内 比呂也「デジタルコンテンツの彼方に図書館の姿を求めて」
http://www.infosta.or.jp/journal/200709j.html#2

私は竹内氏の論文の「インタラクティブ性」について述べた部分に非常に関心を持ちました。著者はWeb2.0のような「ユーザーとユーザー」「ユーザーと運営者」をつなぐ、双方向的なサービス形態が現在の図書館(この論文では大学図書館)に必要であると主張し、それに続けて「なぜ今までの図書館サービスに双方向性が生まれなかったのか」という疑問を投げかけます。
今までの図書館では、利用者間で積極的なコミュニケーションが生まれることは無かった。それはなぜか?それは、図書館員の匿名性にある、と著者は主張しています。


図書館と利用者, あるいは利用者どうしのインタラクティブな関係のコアに位置するのは図書館員である。インターネット上でのインタラクティブな関係の構築はソーシャルネットワークSNS)やネットコミュニティの形成という形で議論されている。ネットワーク上での関係性は, 匿名性はあるにしてもハンドルネームを使うことによって各個人を特定化できることがベースにあることに留意する必要がある。一方, これまでの日本の組織は, 例えば, レファレンスをするのは「レファレンス担当係」であって「特定の誰それ」ではなかった。つまりこれまでは組織の名称はあっても組織内の人間は匿名化されており, 個人を特定化できないようにしてきたが, これからのサービスの基盤としてのインタラクティブな関係性の強化を目ざすのであれば, このようなことでは利用者に受け入れられないのではないだろうか。
つまり、今の図書館には生協の白石さんはいないということでしょうか(笑)
たしかに、今の図書館員には何となく職人気質というか、自分を表に出そうとしない雰囲気を感じます。(あくまで私のイメージですが)このあいだ開かれた「図書館系ブロガーオフ会」でも、図書館員はあまり個人ブログで情報発信しない、という話が出ていたのも思い出します。今までの社会では、サービスを提供している人々はあまり表に出るべきではないという風潮がありました。しかし、現在ではむしろ、サービスの提供者がブログを通して積極的に個性をアピールするということが肯定されるようになってきているように思います。

ブレンディッド・ライブラリアンという新しい概念

著者はさらに、双方向性を備えた次世代の図書館員として、「ブレンディッド・ライブラリアン」という米国の概念を紹介します。


米国の最近の議論では, ブレンディッド・ライブラリアン( blended librarian )という概念も見られるようになっている。ブレンディッド・ライブラリアンとは, 伝統的なライブラリアンシップに適切な情報技術についての知識と技能を持つだけではなく, カリキュラムデザイン, インストラクション技術についての知識や技能を持つ図書館員のことを指している。このような考えが出てくる背景には, 図書館員を教育プロセスの中に統合していかなければ, 図書館員は大学の中でマージナルな存在になってしまうという危機意識がある。
この論文では大学図書館の図書館員として説明していますが、つまり利用者の質問に答えていくというだけでなく、利用者の抱えている問題に積極的に介入して問題解決まで導いていくことのできる図書館員が「ブレンディッド・ライブラリアン」なのだと思います。

論文を読んで考えたこと:ワークショップ的図書館論

他人の問題を理解し、その人が自分自身で解決できるように導いていくことをファシリテーションと呼び、それを担う人のことを一般的にファシリテーターと呼ぶそうです。そして、ファシリテーターの支援のもと、人々が自由に行動して新たな問題解決方法を発見するような手法のことをワークショップと呼びます。ワークショップは、まちづくりの集会や研究会など明確なリーダーが登場しない場所でよく使われており、最近では子どもの創造性を伸ばす体験学習プログラム手法としても活用されています。
竹内氏の論文で挙げられている「利用者どうしのインタラクティブな関係性」とは具体的には、共通の問題を抱えた利用者どうしが席を寄せ合ってコミュニケーションをとる、きわめてワークショップ的な状況のことを指すのだと私は思います。
これまで、図書館員が支援できるのは利用者から提示される質問や資料の要求に答えるだけであり、そのおおもとの問題にはかかわることができませんでした。また、利用者どうしが問題を共有していく、という場面も生まれませんでした。しかし、これからは、利用者の活動に他の利用者や図書館員が参加していく、というサービス形態もあっていいのではないでしょうか。利用者の問題に他の利用者や図書館員が継続的に関わっていくことで、問題に対する理解を深め、コミュニケーションをとっていくことで、図書館員はより本質的な情報提供を行っていく。それはつまり図書館そのものが1つの「ワークショップ」として機能し、図書館員がファシリテーターとして働きかけていくということです。
このような図書館のあり方は一見非現実的であるかのように思えるかもしれませんが、ビジネス支援などは利用者の問題に深く介入していく必要があります。また、それに関連した講演会なども最近では開かれています。このようなサービスが現実に存在し、注目を集めているのを見れば、この方向性も間違いではないと思います。特殊なケースとして扱われていた形態が、全体へと広がっていくだけなのです。
そのようなサービスを展開すれば、「あの図書館でミーティングしていると、図書館員さんがアドバイスしてくれるからあそこでやろう」というような期待を利用者が持ってくれるのではないでしょうか。
そのような期待が多くの利用者から持たれたとき、はじめて図書館は『電子図書館の神話』で提示された「場所としての図書館」の意義を持ち得るのではないかと私は思うのです。

おわりに

以上、論文を読んでいて頭の中で思い浮かんだことを自分なりにまとめてみました。一介の学生が書いた意見なので、実際に図書館に勤めておられる方から見れば穴だらけの論理なのだと思います。ぜひ他の方々も意見を言っていただいて、より良い「場所としての図書館」論がネット上で展開されればうれしいです。

関連書籍

ワークショップ―新しい学びと創造の場 (岩波新書)

ワークショップ―新しい学びと創造の場 (岩波新書)

ワークショップ―偶然をデザインする技術

ワークショップ―偶然をデザインする技術

いずれもワークショップについてわかりやすく説明してくれる好著です。「ワークショップ入門」はワークショップに関する講習で必ず出てくる書籍なので特に読んでいただきたいと思います。
問題解決ファシリテーター―「ファシリテーション能力」養成講座 (Best solution)

問題解決ファシリテーター―「ファシリテーション能力」養成講座 (Best solution)

企業での会議などで、いかに良いファシリテーターとなるか、その方法について述べた書籍。ブレーンストーミングなど、実践的な会議手法も紹介されています。会議に参加することの多い人には是非読まれてはいかがでしょうか。
電子図書館の神話

電子図書館の神話

このブログではおなじみの書籍。「場としての図書館」について知りたいのであればこの書籍は必読です!

納本ドットコムを実現させるには?

先日の記事「国立国会図書館での漫画の納本状況 - 図書館情報学を学ぶ」で提案した納本ドットコムですが、図書館系ブロガーの先輩方々から好評をいただいているようです。皆様ありがとうございます。
納本ドットコムのような機構は、おそらくシステムだけであればすぐに実現するのだと思います。復刊ドットコムのような投票システムは必要ありませんから、システム自体は掲示板やWikiで十分でしょう。納本されていない本のトピックを立てて、納本した人がそのトピックに報告するという流れですね。
ただ、実際に運用するとなると、どのようにユーザーを集めるかとか、納本した証拠をどのように表現するかなど、色々課題が出てくると思います。記事を書いたときは、パッとレンタルWikiで作ってしまおうかと思ったのですが、中途半端になると良くないなあと思って止めました。
どこかの団体か、もしくはネットコミュニティの運営に長けた方が実現していただけると良いのですが……。

関連記事(他サイト)

納本のお願い | 国立国会図書館-National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/jp/aboutus/deposit_02request.html
復刊ドットコム
http://fukkan.com/

国立国会図書館での漫画の納本状況

かたつむりは電子図書館の夢をみるか - 国立国会図書館ではあの迷(名?)台詞の元ネタが調べられない、とか
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20070905/1189020963
かたつむりは電子図書館の夢をみるか - あれ、「萌え4コマ」もあまりない?
http://d.hatena.ne.jp/min2-fly/20070909/1189355030
とはずがたり - エロ本以外の納本状況
http://d.hatena.ne.jp/mique/20070910/1189413805

私の先輩であるid:min2-flyさんとid:miqueさんが漫画の納本状況について調査されているようです。成年向けの漫画の納本率が悪いという話は最近よく聞いていましたが、『幕張サボテンキャンパス』など、よく知られている漫画も意外に納本されていないのは驚きました。id:min2-flyさんの調査を見ると、出版社もしくは取次の側に原因があるようです。それが本当だとすれば、納本しない理由をぜひ知りたいところですね。
納本は法律で義務付けられていますが現実には結構漏れが多いことは多くの方が指摘されています。このような指摘を聞くと、もう出版社に任せるのではなく所有者が自主的に納本されていない本を簡単に納本できるような機構を用意したほうがいいのかもしれませんね。復刊ドットコムにあやかって納本ドットコムとか(笑)

「電子図書館の神話」の崩壊

1

最近、図書館関係の話をまったくしていないので、少し取り上げてみます。
電子図書館のその先は - 図書館退屈男

なぜいまさら図書館という「館」や「物理空間」になぜ拘るのだろう。オンラインでの利用者さえ多ければ、それでよかったのではないのか。「電子図書館の構築」とは、究極的には全ての物理媒体を捨てて電子化し、ネットに完全に溶け込んだ図書館屋になることだったのか。そしてその仮想空間には、図書館屋は必要なのか。その中で何をサービスするのか。


うまい答えが出せない。

電子図書館を追究していくうちに館としての図書館の存在意義について悩むようになったという話、という風に受け止めていいのでしょうか。所属されている図書館の利用者数を増加させなくてはならないという差し迫った課題もあるようなので、純粋にそれだけの話では無いかも知れませんが。
電子図書館における図書館の存在意義に焦点をあてると、この問題は図書館関係者にとって普遍的なテーマだと思います。

2

電子図書館の神話

電子図書館の神話

本ブログでもたびたび取り上げている『電子図書館の神話』では、電子図書館と館としての図書館という2つの理念を一種の神話として捉えて比較しています。電子図書館構想はおよそ1960年代から始まっているので、2つの神話の対立はかなり長い歴史を持っているといえます。
同書では、結局利用者の調査研究を支援するためには、無機的な電子図書館サービスだけでは不十分で、館としての図書館において司書があたかもセラピストのように利用者の問いを明確化するなど人間的なサービスが必要であると主張し、両者は別の役割を持っているので棲み分けができる、と結論づけています。

3

一見、図書館退屈男さんの悩みはこれで解決できるのではないか?とも思ってしまうのですが、よくエントリーを読んでみると何か違うような気がします。というより、論点が違うのかもしれません。
今はまだそのずれがどこにあるのかいまいち分からないのですが、気になるのは、かつての電子図書館論者にはあった、「電子図書館へのロマンティシズム」が見られないことです。
1960年代の電子図書館論者の言葉を読んでみると、電子図書館が利用者が抱える課題をすべて解決できるはずだ!という、まさに神話的な期待があるように感じます。
しかし、現代ではGoogleなどによるWebサービスによって、かつて電子図書館論者が語っていた神話が実現されてしまった。その結果、電子図書館論者は逆に夢を他者に奪われてしまい、「電子図書館の神話」が成り立たなくなった。
現代では「電子図書館の神話」は既に解体されてしまったのかもしれません。図書館退屈男さんの言葉は、夢を奪われた電子図書館論者を代弁するものなのかもしれません。