図書館情報学を学ぶ

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リルケが描く「理想の詩人」

『マルテの手記』を読んでいることは先日書いたが、読み進めているうちに、詩作について論じている記述にぶつかったので、ご紹介する。この部分の記述は、先日のエントリーの追記にて紹介した松岡正剛氏の書評でも触れられている。
マルテはこう語っている。

人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。

詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らい(はじらい)を究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。

追憶が僕らの血となり、目となり、表情となり、名まえのわからぬものとなり、もはや僕ら自身と区別することができなくなって、初めてふとした偶然に、一編の詩の最初の言葉は、それら思い出の真ん中に思い出の陰からぽっかり生れてくるのだ。