図書館情報学を学ぶ

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超短編「読めない手紙」

 僕が珈琲を飲み始めたのは、祖父の影響だった。祖父と僕の部屋は向かいあっていたので、学校での勉強に退屈したときによく祖父の部屋へ遊びに行っていた。
 祖父は白髪で太い黒縁の老眼鏡をかけていて、常に何か考え事をしているかのように黙って大型の木机に座って本を読んでいたり、何か書き物をしたりしていた。ただ、僕が入ってくると、顔を挙げ微笑んで席を立ち、珈琲を入れてくれた。祖父の部屋の隅にはさび付いたガスコンロがあって、その隣の小机に様々な珈琲を淹れる道具が並んでいた。祖父はそれらを手早く操作して、魔法のようにあっという間にカフェオレを淹れてくれた。熱いカップを慎重に両手で持ちながら、少しずつ、少しずつ、カフェオレを啜っていくと、口の中で珈琲独特の香りが、花のつぼみが開くように、広がっていく。その後に、ミルクと砂糖が味の彩りを加えていく。
 美味しい。思わず、その一言を漏らすと、祖父は満面の笑みを浮かべ、黙って僕の頭をさすって、また元のように木机に向かうのだった。
 何をしているの?
 一度だけ、そう訊いたことがあった。祖父はゆっくりとこちらを振り返ると、手にしているものを広げてみせた。
 それは手紙だった。変色した紙に、びっしりと小さな文字で書かれた、手紙だった。
 六十、年前かな、私の友人からもらった手紙だよ。
 何が書かれているの?
 そう僕が訊くと、祖父は額のしわを寄せた。
 それが、わからないのだよ。何が書いてあるか、日本語で書いてあるというのに、わからないのだよ。
 不思議に思って僕は手紙の文字を追ってみたのだが、なるほど、たしかに何が書いてあるのかわからなかった。最初の「拝啓」までは読めるのに、そこから先が、文字が渦を巻いているように見えて、判読ができなかった。全体を見ると、定規でも引いたかのように真っ直ぐにかかれているように見えるというのに。
 だが、もうすぐ読めるかもしれないな。
 祖父はそういって、手紙をしまった。祖父の目はどこか遠くを見ているようだった。
 なんで?
 僕の問いかけに、祖父は答えず、黙って僕の頭をさすった。そして、カフェオレをもっと飲むよう促したのだった。


 祖父が死んだのは、それから一月足らずのことで、唐突なことだったから、しばらくは僕は実感が持てなかった。両親の会話を聞くと、祖父は机につっぷしたまま、眠るように死んでいたらしい。そして、机の上には僕はあのとき見た手紙と、祖父が書いたものらしき手紙が置かれていた。それは旧友にあててかかれたものらしかったが、生憎祖父が突っ伏したときにこぼれた珈琲でほとんど判読ができないほどぬれてしまっていた。祖父は、読むことができたのだろう、六十年まえ、旧友からもらった手紙を、そして、きっと手紙の返事を書こうとしたのだ。返事を書き終えたのか、途中であったのか、それは僕にはわからなかったが、きっと祖父は満足しているだろうと、僕は何故か強く確信していた。