図書館情報学を学ぶ

はてなダイアリーで公開していたブログ「図書館情報学を学ぶ」のはてなブログ移行版です。

読書という言葉の解体

いろいろ本ブログに書くべきことが沢山あるような気がしますが、復活しやすさを優先して取り上げやすい話題から書いていこうと思います。
先日、知的コミュニティ基盤センター公開シンポジウム「現代出版研究の視座」に出かけました。当日にはTwitter上でid:min2-fly さんと私が実況していたのでそれを見ていた方もいらっしゃるかと思います。電子書籍について、雑誌業界や学術出版業界など様々な視点から論議する点で面白い催しだったと思います。質疑応答でも出ていましたが、多くの方はおそらく電子書籍の台頭によって出版業界の構造がどう変わるのかが気になったかと思います。
しかし、私が特に気にかかったのは登壇者の影浦峡先生による「そもそも読書とは何か」という問いのほうでした。多くの人は「読書」という体験についてあまり追究せず、電子書籍について論じているように思います。そもそも活字が氾濫している現代において、どこからどこまでが「読書」なのか。週刊雑誌を読むこと、漫画を読むこと、Wikipediaという百科事典を読むこと、サウンドノベルをプレイすること、Twitter上の小説を読むこと、これらのどれが読書であるのかないのか。人が「読書」をしたいと感じた時、それは具体的にはどんな体験を欲しているのでしょうか。
このような問いは紙媒体の書籍の存在によって、封じられていた問いだといえます。しかし、電子書籍端末によって本を読むことが一般化してくるようになれば、「読書」という言葉は見直される必要があると思います。もしかしたら、紙の本に対する「読書」と、電子書籍端末に対する「読書」には別の言葉が割り振られるかもしれません。そのような「読書」の解体が起こったとき、それぞれの「読書」はどの業界が担うようになるのでしょうか。
「読書という言葉の解体」は、すなわち消費者の真のニーズを見極めることに繋がるのだと思います。ケータイ小説の流行やサウンドノベル、またはペンギン社が打ち出した電子書籍アプリなどは、既に読書という言葉にとらわれず消費者のニーズを見極めたサービスを提供しています。今後は、そういった既存の「読書」のイメージから外れたサービスの中にこそ、出版業界が取り組むべきものがあるのかもしれませんね。