図書館情報学を学ぶ

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歴史小説と物理学

幼年時代 Ⅰ」を書き終えて、就寝しようとしたのだが、どうも眠気が起きない。「幼年時代」の続きを書いても良いのだが、過去の話をすると結構疲れるので、他の話題について書いてみる。
ファインマン物理学〈1〉力学
レパントの海戦 (新潮文庫)
今読んでいる『ファインマン物理学 Ⅰ 力学』に次のような記述がある。

 もしも諸君が将来物理学者になろうというのならば,これから実にたくさんのことを勉強しなければならない.そこにあるのは,この200年間に非常ないきおいで発展してきた知識の世界である.そして諸君は将来更に大学院へも行かなければならないのだ.
 この永い間に行われた仕事の量は実におびただしいものである.しかし,驚くべきことには,その厖大な結果をずっと圧縮してしまうことができるのである.――すなわち,いくつかの法則をみつけだして,我々のすべての知識をそれに要約してしまうことができるのである.

別に感動的な文章というわけではない。が、同時に読んでいる『レパントの海戦』のある記述を連想して、妙な感銘を受けたのである。その記述とは次のものである。

 レパントの海戦は、歴史上の一事件である。それがキリスト教徒とイスラムの間で闘われたことにいくぶんかの特殊性があるとはいえ、他のすべての戦闘と同じく、男たちはいかに闘ったかの一事に、所詮は帰される戦いである。この視点に立つならば、キリスト教徒であろうとイスラムであろうとちがいは消えてなくなり、四百年の歳月も消えてなくなるように思われる。

「男たちはいかに闘ったかの一事」とは、つまり「レパントの海戦」から人間の普遍的な行為を導き出すことに他ならないだろうか。だとすれば、それは物理学の、200年の歳月を圧縮する「法則」と同等のものであるのではないだろうか。私は歴史小説を今まであまり好まなかったのだが、それは教科書的な「歴史」観にとらわれすぎていて、そこに提示される人文的法則を読み落としていたからなのかもしれない。歴史とは単に記録ではなく、人間の普遍的行為を算出する一つの数式なのかもしれない。