「電子図書館の神話」の崩壊
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最近、図書館関係の話をまったくしていないので、少し取り上げてみます。
電子図書館のその先は - 図書館退屈男
なぜいまさら図書館という「館」や「物理空間」になぜ拘るのだろう。オンラインでの利用者さえ多ければ、それでよかったのではないのか。「電子図書館の構築」とは、究極的には全ての物理媒体を捨てて電子化し、ネットに完全に溶け込んだ図書館屋になることだったのか。そしてその仮想空間には、図書館屋は必要なのか。その中で何をサービスするのか。
うまい答えが出せない。
電子図書館を追究していくうちに館としての図書館の存在意義について悩むようになったという話、という風に受け止めていいのでしょうか。所属されている図書館の利用者数を増加させなくてはならないという差し迫った課題もあるようなので、純粋にそれだけの話では無いかも知れませんが。
電子図書館における図書館の存在意義に焦点をあてると、この問題は図書館関係者にとって普遍的なテーマだと思います。
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- 作者: ウィリアムF.バーゾール,William F. Birdsall,根本彰,二村健,山本順一,平井歩実
- 出版社/メーカー: 勁草書房
- 発売日: 1996/04
- メディア: 単行本
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同書では、結局利用者の調査研究を支援するためには、無機的な電子図書館サービスだけでは不十分で、館としての図書館において司書があたかもセラピストのように利用者の問いを明確化するなど人間的なサービスが必要であると主張し、両者は別の役割を持っているので棲み分けができる、と結論づけています。
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一見、図書館退屈男さんの悩みはこれで解決できるのではないか?とも思ってしまうのですが、よくエントリーを読んでみると何か違うような気がします。というより、論点が違うのかもしれません。
今はまだそのずれがどこにあるのかいまいち分からないのですが、気になるのは、かつての電子図書館論者にはあった、「電子図書館へのロマンティシズム」が見られないことです。
1960年代の電子図書館論者の言葉を読んでみると、電子図書館が利用者が抱える課題をすべて解決できるはずだ!という、まさに神話的な期待があるように感じます。
しかし、現代ではGoogleなどによるWebサービスによって、かつて電子図書館論者が語っていた神話が実現されてしまった。その結果、電子図書館論者は逆に夢を他者に奪われてしまい、「電子図書館の神話」が成り立たなくなった。
現代では「電子図書館の神話」は既に解体されてしまったのかもしれません。図書館退屈男さんの言葉は、夢を奪われた電子図書館論者を代弁するものなのかもしれません。