図書館情報学を学ぶ

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問題解決に本当に役立つ道具とは何か

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良い道具とは、手間がかからない、誰もが使える、失敗が少ない、つまり利便性が高い道具であることが一般的な考え方だと思います。計算機工学もこの考えのもとに、反復的な作業を自動化することによって人の手間を減らそうとするアプローチで研究開発が行われています。電子図書館の発想も、情報を探す手間をできる限り省こうとするアプローチの研究でしょう。
また、人は自分の抱える問題を解決できると期待して道具を使います。Googleという道具を使うのは、あるキーワードの意味を知らないという問題を解決するためです。問題が普遍的であるほど、それを解決する道具の重要性は高まります。
一見すると、利便性を追求し「良い道具」を作り出すことと、より多くの問題を解決する「重要な道具」を作り出すことは同義である、つまり利便性の追求によって多くの問題は解決するように思えます。しかし、私は最近このアプローチは危険なのではないか、と考えるようになりました。

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そもそも、問題を解決するために最も必要なのは、問題を正確に分析し解決手段を案出する思考です。これが欠けると、たとえ「便利な道具」を沢山もっていたとしても使いどころを間違えやすくなり問題が解決することができません。ドラえもんの道具でのび太がたびたび失敗するのはこういう理由によるものです。そのため、問題解決の本質的な要件は思考力の向上であるといえます。

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利便性の追求の観点からみれば、理想的な道具とは使うものが何も考えなくても使えるものであるといえます。道具を選ぶのを悩むのも利便性から見れば手間でしかありません。できれば、問題を解決するあらゆる過程を全自動で行う道具であってほしい。
このような考えによる道具が生産され続けるとどうなるでしょうか。おそらく人は自分の作業のすべてを道具にまかせるようになります。ここまでは特に問題が無い、便利だからいいじゃないか、という意見が来ると思います。問題なのは、それに慣れることによって、今ある道具では解決できない問題を避けるようになってしまうようになるのではないかということです。インターネットで見つからないような疑問は忘れる、面倒臭くなって調べるのをやめる、という経験は誰もがあるかと思いますが、これもインターネットという便利な道具に慣れることで、それが使えない問題に対応できなくなっているわけです。

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では、あらゆる問題をカバーした道具を作ればいい、という意見があるかもしれませんが、そのような道具は使いにくくなるとともに、自分が解決する問題は何なのかを忘れさせるという難点があります。十徳ナイフは便利といわれますが、実際の調理で使うことはあまり無いでしょう。シンプルな包丁を使うほうが、自分はこれから野菜を切るんだ、ということを自覚しやすくなり、次の行動を考えやすくなります。パソコンはこの点で最悪の道具です。作業をしようととりあえずパソコンを開いたものの、何をしたらいいのかわからないまま数時間を過ごすということ、ありませんか?
なんでもできる、ということは問題の認識を阻害させるのです

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3および4で提示した問題を考えると、利便性のみを追求した道具を開発するのは問題解決を支援することには繋がらないということがわかります。それでは、本当に問題解決に役立つ「重要な道具」とはどのような性質を持つのでしょうか。
それは、使うことで自分の問題を認識させる性質を持った道具であると私は思います。つまりは人の成長を促す副次効果を持った道具ということですね。具体的なイメージはまだ掴めないのですが、教育工学などの視点からいろいろわかってくるのではないかと思います。

おわりに

以上、最近考えていることをだらだらと書いていきましたが、所々で提示している問題が本当に存在するかはまだ検証していないので、いろいろ間違っている点があるとは思います。ツッコミなどいただければ幸いです。