図書館情報学を学ぶ

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「場所としての図書館」とメディア

私の「場所としての図書館」論

以前、「次世代の「場所としての図書館」のあり方を自分なりに考えてみました - 図書館情報学を学ぶ」という記事を書いたことがありました。そこでは図書館から「話し合いの場所」としての有用性を見いだして「図書館員が利用者の問題に介入する」というような図書館サービスモデルを提示しました。
今でも「場所としての図書館」に対して強い興味を抱いているのですが、先の記事を書いたときとは少し違う見方をし始めています。

私の理論の欠陥

振り返ってみると、先の記事では図書館員と利用者のコミュニケーションにとらわれすぎて、「メディアを利用する場所」という図書館の本性を置いてけぼりにしてしまっているように思います。
先の記事を引用して、G.C.Wさんが『"「場所としての図書館」試論"』という記事を書いています。この記事でG.C.Wさんは私の主張する図書館モデルに、それを実施するスペースの点から、やんわりと反論されているのですが、この反論も「メディア」という観点がすっぽりと私の主張から抜け落ちている点が原因なのだと思います。私としては、決して今までの図書館資料を廃棄するとか、電子化するといったことを前提にしたつもりではないのです。
まあ、要約すると先の記事は本末転倒を起こしていた、ということです^ ^) ;;;;

「場所としての図書館」とメディア

自らの失敗に気づいて、思ったのはバーゾールをはじめとした「場所としての図書館」論者は図書館資料と「場所」とをどのように関連づけているのか、ということです。『電子図書館の神話』はかなり前に読んだ本なので、詳細を思い出せないのですが、まさか私のような失敗を犯しているとは思えませんから、何らかの関連づけはしているはずでしょう。明日辺り再読するつもりですが、誰か知っている方がいれば教えてください - -);;;

まとめ

今後は、メディアとそれを利用する場所としての図書館について、もっと詳しく考察していき、再び自分なりの「場所としての図書館」論を論じられればと思います。