図書館情報学を学ぶ

はてなダイアリーで公開していたブログ「図書館情報学を学ぶ」のはてなブログ移行版です。

今後の教育のあり方は、国民にゆだねられた。

前々から気になっていた改正教育基本法がついに成立しました。

教育基本法改正、学校現場で期待と不安入り交じる
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200612150393.html

朝日新聞ではでかでかと1面を飾り、改正教育基本法の問題点についての記事が多数組まれていました。他にも読売、産経、毎日などの都市新聞も今日の主なトピックとして扱われていました。(さすがに日経は1面の片隅に載っていただけでした)
このように多くのメディアに取り上げられている改正教育基本法ですが、何故教育基本法がそこまで問題視されているのでしょうか。
改正教育基本法の問題点とは、つまり教育に対する国家の介入が改正前と比べて容易になったことにあるようです。改正前の教育基本法には、教育行政の項において教育は不当な支配に服することなく、国民全体に直接に責任を負って行われるべきものという記述があります。一方、改正教育基本法の同じ項では、教育は不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものという記述に変わっています。
これは、法律上で定めたことであれば「不当な支配」とは見なされないということになり、法律を通した国家の介入が可能となるという見方ができます。

改正教育基本法、成立 「個」から「公」重視へ 国家色強まる恐れ
2006年12月16日 朝刊 第1面
いまの教育基本法は、戦前の教育が「忠君愛国」でゆがめられ、子どもたちを戦場へと駆り立てたことを反省し、国民の決意を表す法律としてつくられた。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる」と定めている。国の政治的な介入に対しても歯止めをかけた。  その文言の後段が「法律の定めるところにより行われる」と改められた。現行法とはちがって、国の教育行政に従え、ということになりかねない。

これによって、行き過ぎた愛国心教育が国家や地方の教育行政によって行われるのではないか、というのが朝日新聞での論調です。おおよそ他の新聞でも同様の点が問題点とみなされているようです。

国民ができることは。

さて、それでは改正教育基本法の成立したことで、即座にメディアが問題とする愛国心教育が行われるようになるのでしょうか。そういう訳では無いようです。

(私の視点ウイークエンド)教育基本法改正 「強まる政府権限」監視を 苅谷剛彦
朝日新聞 2006年12月16日第19面

教育社会学者の苅谷剛彦氏は、重要なのは改正教育基本法の下に作成される学習指導要領にあると説いています。愛国心教育が具体的にどのように行われるかは、この学習指導要領によって取り決められるからです。
学習指導要領は文部科学省が教育課程審議会の諮問を通して作成するものですが、今後は国家や地方などの行政にこの作成過程がより影響を受けやすくなるでしょう。改正教育基本法の影響が具体的に出てくるのは、この学習指導要領改訂の時であるといえます。

今回の改正で国民は、教育に関するより大きな決定権を政府に与える道を選んだ。選んだ以上、行き過ぎがないかどうかのチェックは、今後は政治・選挙の場を通じて私たち自身が行わねばならない。その責任を同時に引き受けたことを忘れてはならない。

つまり、参政権を持つ国民が教育に対しどのような考えを持って選挙に臨むかということが、今後の教育のあり方を少なからず左右するということになるのです。
私は今のところ、現行日本の教育制度が良いか悪いか、明確な考えを持っていません。しかし、来年から参政権を持つ身となり、いつかは私の教育に対する意見が求められることになります。今後の教育施策の動向をしっかりと見据えつつ、国民としての意見が持てるように勉強していきたいと思いますね。

関連書籍

教育改革の幻想 (ちくま新書)

教育改革の幻想 (ちくま新書)

今回取り上げた記事の著者である苅谷剛彦氏の著書。いわゆる「ゆとり教育」がどのようなプロセスで行われるようになったのか、そしてその過程にあった当時の教育の状況に対する認識の誤りを統計データをもとに分析し解説しています。
学校教育とカリキュラム

学校教育とカリキュラム

筑波大学の教職科目で使われているテキストです。教育制度の要である学習指導要領がどのように作成されているのか、そしてその歴史的変遷が解説されています。